「家庭の幸福」

 

「所謂『官僚の悪』の地軸は何か、所謂『官僚的』という気風の風洞は何か。私は、それをたどって行き、家庭のエゴイズム、とでもいうべき陰鬱な観念に突き当たり、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。」

「曰く、家庭の幸福は諸悪のもと」

(「家庭の幸福」太宰治著)

 

太宰治にとって『家庭の幸福は諸悪のもと』という考え方は、この文学者が生涯をかけた文学思想のイロニイであった。」

(光文社「家族のゆくえ」吉本隆明著)

 

 

太宰治は「家庭」「家族」「性」を文学の褥とした。

太宰治は「家庭」「家族」「性」という孤絶の個的幻想を文学の褥とした。

 

 

 

「幸福の性」を求める男女の手紙が「幸福の家庭」にある男の妻に知られる、

男女と妻の心身は激しい倫理的葛藤に揺さぶられる、

その葛藤によって「幸福の性」「幸福の家庭」の正体が顔を覗かせる、

その正体は孤絶の個的幻想か、

それとも「官僚的という気風」に晒され「社会倫理」「法倫理」が忍び込んだ紛れの個的幻想か、

孤絶の個的幻想は紛れの個的幻想を打ち払うことができる、

孤絶の個的幻想は他の孤絶の個的幻想と並び立つことはできない、

互いに孤絶の個的幻想の相克の行方には「幸福の性」「幸福の家庭」という名の静かな川が流れている。

 

 

太宰治はその静かな川の流れに身を委ねた。

 

 

 

「幸福の性」を求める男女のメールが「幸福の家庭」にある男の妻に知られる。

そのメールが社会に暴かれる。

その孤絶であり得た個的幻想も「官僚的という気風」に晒され「社会倫理」「法倫理」が忍び込んで紛れの個的幻想に変わる。

紛れの個的幻想と紛れの個的幻想は紛れの諍いに陥る、

互いに紛れの個的幻想の相克の行方には「官僚的という気風の風洞」が空虚に待ち受ける。

 

 

「幸福の性」「幸福の家庭」は孤絶の個的幻想の深い葛藤のなかに秘そむ。

「幸福の性」「幸福の家庭」は紛れの個的幻想のなかでその命脈をたもつことはできない。

 

 

孤絶の個体幻想を「官僚的という気風」に晒し「社会倫理」「法倫理」で覆い隠す紛れの個的幻想に「幸福の性」「幸福の家庭」がおとずれることはない。

 

 

「権威」

 

「権威は必ず服従を伴い、つねに服従を要求する。にもかかわらず、それは強制や説得とは相容れない。なぜなら、強制と説得はともに権威を無用にするからである。世界史におけるこの特異な時代状況のもとで、権威は他と明確に区別された独自のものとなる。(「緒言」フランソワ・レテ)」

「権威が現に存在するのは、それが『承認』されているかぎりにおいてのみである。つまり、『承認』されているかぎり、権威は【現に存在する】」

「裁判官の権威。(【ヴァリアント】――調停者の権威。監督官、検閲官、等々の権威。聴罪司祭の権威。正義の人または誠実な人の権威。等々。)  聴罪司祭の権威に関する注記。これまた、【混合的】権威の好例である。聴罪司祭は、【裁判官】の権威に加えて、【父】の権威はもとより、「良心の導き手」の資格において【指導者】の権威も帯びる。だが、彼には【主人】の権威が欠けている。  正義の人に関する注記。実をいえば、これは裁判官の権威の最も純粋なケースである。なぜなら、厳密な意味での裁判官は、裁判官としての権威――自然発生的な権威――に加えて、役人としての権威――派生的な権威――をも備えているからである。

【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ/今村真介訳(法政大学出版局、2010年)】

 

 

 

「2点目。裁判所が被告に敗訴判決に従うかを確認した理由に関係する。

 国は敗訴しても変わらない。国は何もできないことが続くだけ。

 これは弁護士の方はよくご存じだと思うが、平成24年の地方自治法改正を検討する際に問題になった。

 不作為の違法を確認する判決が出ても、地方公共団体は従わないのではないか。そうなれば判決をした裁判所の信頼権威を失墜させ、日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがあるということが問題になった。

 そういう強制力のない制度でも、その裁判の中で、被告が是正指示の違法性を争えるということにすれば、地方公共団体も判決に従ってくれるだろうということで、そういうリスクのある制度ができた。

 それで、その事件がこの裁判にきたということになる。そういうことで、そのリスクがあるかを裁判所としてはぜひ確認したいと考えた。もしそのリスクがあれば、原告へ取り下げ勧告を含めて、裁判所として日本の国全体に大きなダメージを与えるようなリスクを避ける必要があると考えた。

 もちろん代執行訴訟では、被告は「不作為の違法確認訴訟がある。そこで敗訴すれば、従う。だから、最後の手段である代執行はできない」と主張されまして、それを前提に和解が成立しました。

 ですから当然のこととは思いましたけれども、今申し上げたように理解があるということでしたので、念のため確認したものの、なかなかお答えいただけなくて心配していたんですけども、さすがに、最後の決断について知事に明言していただいて、ほっとしたところであります。どうもありがとうございました。判決は以上です。じゃあ終わります。」

(「辺野古不作為違法確認訴訟」多見谷裁判長の説明)

 

 

 

1つ

「そうなれば判決をした裁判所の信頼権威を失墜させ、日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがある」

  

「裁判所の信頼権威」は裁判所の「判決の公正妥当性」評価により国民によって承認される。

「公正妥当な判決」に従わない被告は社会疎外されうるが他の国民の「裁判所の信頼権威」は失墜しない。

「日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがある」のは国民が「判決の公正妥当性」に疑問を抱いたことにより「裁判所の信頼権威」が失墜するときである。

 

 

2つ

「そういう強制力のない制度でも、その裁判の中で、被告が是正指示の違法性を争えるということにすれば、地方公共団体も判決に従ってくれるだろうということで、そういうリスクのある制度ができた」

 

「権威」と「強制」や「説得」とは相容れない、

「強制力のある制度」はそもそも「権威を無用」にする。

「強制力のない制度」で被告が判決に従うか否かのリスクは裁判所の「判決の公正妥当性」評価にかかるものであり「被告が是正指示の違法性を争えるから」そのリスクが軽減されるものではない。

 

 

3つ

「そういうことで、そのリスクがあるかを裁判所としてはぜひ確認したいと考えた。もしそのリスクがあれば、原告へ取り下げ勧告を含めて、裁判所として日本の国全体に大きなダメージを与えるようなリスクを避ける必要があると考えた」

 

「そのリスクがあるか」は裁判所の「判決の公正妥当性」評価にかかり「敗訴すれば従う」という言質の取付け有無によるものではない。

その「取付け言質」もまた「強制力のない」ものである。

「公正妥当な判決」に従うとの「言質」を与えた被告がその「言質」を翻せばより社会疎外されうるが他の国民の「裁判所の信頼権威」は失墜しないし「日本の国全体に大きなダメージを与えるようなリスク要因とはならない」

「日本の国全体に大きなダメージを与える恐れがある」のは国民が「判決の公正妥当性」に疑問を抱いたことにより「裁判所の信頼権威」が失墜するときである。