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「二重橋」

 

 

 ” 久しぶりに 手を引いて

  親子で歩ける うれしさに

  小さい頃が 浮かんできますよ

  おっ母さん

  ここが ここが二重橋

  記念の写真を撮りましょうね

 

  やさしかった兄さんが

  田舎の話を聞きたいと

  桜の下で さぞかし待つだろ

  おっ母さん

  あれが あれが九段坂

  逢ったら泣くでしょ 兄さんも

 

  さあさ着いた 着きました

  達者で永生き するように

  お参りしましょよ 観音様です

  おっ母さん

  ここが ここが浅草よ

  お祭りみたいに 賑やかね”

 

( 詩・野村俊夫 曲・船村徹 歌・島倉千代子

 

 

 

人は不条理を不条理として受け入れることはできない。

 

近代イデオロギーによって起こされる戦争の不条理は近代イデオロギーによって条理化されることはない。

 

「平和のための戦争か」

「戦争による平和か」

 

 

近代イデオロギーによって起こされる戦争の原因と責任は近代イデオロギーによってその原因が究明されその責任が追求されることはない。

 

「植民地化か解放か」

「内閣か軍部か天皇か」

 

 

 

近代イデオロギーによって起こされる戦争の不条理は近代イデオロギーを相対化し無化する思想と詩歌によって癒されるしかない。

 

 

”戦争中、心で仰ぎ見た皇居二重橋で記念の写真を撮って、戦争で死んだ優しかった兄が眠る九段坂を訪ね、なお達者で永生きするよう浅草観音に祈る母娘の姿”

 

 

戦後を生きた人たちはこの詩歌に込められた思想によって戦争の傷跡をひっそりと癒すことができた。

戦後を生きた人たちはこの詩歌に込められた思想によって戦争の傷跡をひっそりと癒すしかなかった。

 

 

 

先の戦争が終わって70年

 

また近代イデオロギーの信奉者たちが「戦争と平和」について語り始めている。

 

近代イデオロギーよる「戦争と平和」の原因究明責任追及の不能のままに。