「相対」
先の大戦が終わって70年あまり、近代は、「共同幻想」の「相対」とその「限界」を悟りつつあり、なおの焦慮を強めている。
人は、それぞれ自己の個人幻想を紡ぎ出す。
近代の個人幻想は、その人のさまざまな感覚と感情を幾重にも織り成した生地から産み出される心の世界であり、その人だけの「絶対」のものである。
人は、二人の間で対幻想を紡ぎ出す。
近代の対幻想は、二人が、それぞれのさまざまな感覚と感情を交互に幾重にも織り成した生地から産み出される心の世界であり、その二人それぞれにだけの「絶対」のものである。
対幻想は、二人の間にのみ産み出される。
人は、二人以上を相手として、同時に、そのさまざまな感覚と感情を取り交わすことができない。
人は、三人以上の間で、「絶対」の心の世界を産み出すことができない。
人は、三人以上になると、個人幻想・対幻想が「相対」にさらされ、その「絶対」は揺さぶられる。
人は、三人以上の共同体においてさまざまな共同幻想に遭遇する。
近代の共同幻想は、人のさまざまな感覚と感情や物の具象を捨象した、客観と抽象に装われた言葉や文字によって作り出される心の世界である。
そして、それはそうであることによって、この世にひろく流布されうるものである。
また、それがそうであることによって、人は、そのさまざまな感覚と感情や具体的な特質が捨象された、客観と抽象に装われた名辞あるいは数として扱われるものである。
そしてまた、その客観や抽象に装われた言葉や文字は、人のさまざまな感覚と感情や物の具象を捨象したものであるから、それらによって作り出される共同幻想は空疎の観念そのものである。
よって、近代の共同幻想は、この世のどこにでもまたさまざまに作り出されるものであり、それらはまぎれもない「相対」のものとして、この世に乱立するものである。
共同幻想が人の心身に対して観念あるいは実体として侵入してきたとき、人はそれを心の世界で受け入れることができるか、受け入れるとして心のどこにどのように受け入れるのか迫られる。
その侵入してくる共同幻想がどの共同体をどのように支配しているものか、それは人の「絶対」の個人幻想や対幻想と共立するものか、それらは互いに侵害しあうものか、影響しあうものか、それらの判断をさまざまに迫られる。
「絶対」である神、自然が主宰する共同幻想では、人の個人幻想・対幻想は「相対」となりうるから、この相克は構造的には起こらない。
近代は、「人間中心主義」を標榜して、「絶対」である神、自然を強く疎外した。
近代は、「人間中心主義」により、人の個人幻想・対幻想を「絶対」のものと措定して、その共同幻想を「相対」のものとして作り出した。
近代は、人の「絶対」の個人幻想・対幻想と共同幻想との、それに加えて「相対」である共同幻想それぞれの、果てしのない「相克」の世界である。
近代は、「共同幻想」の「相対」に耐えきれず、さまざまなところでさまざまな戦を仕掛けてきているが、その「相対」は揺るがない。
近代は、「共同幻想」の「相対」に耐えきれず、他の「共同幻想」を打倒するため、その人の心身を攻撃、殲滅する戦を仕掛けてきているが、なおそのみずからの「相対」をさらしたままである。
近代は、「共同幻想」の「相対」に耐えきれず、先の大戦を仕掛けて、無数の人々の心身を攻撃、殲滅したが、そこで生き延びた「共同幻想」もなんらの「絶対」を得ることはなく、その「相対」の姿をいまもさらしたままである。
先の大戦が終わってから、近代は、さらなる精密無比の機器や技術を開発して、人の心身を細部にわたって分析調査し、その結果にしたがって人をさまざまな機関に組み込み管理し、また人の生殖と死までをも数値化し統計を図り、人のその心身すべてを即物の経済プロセスのなかに完全に嵌め込むことによって、その人の個人幻想や対幻想を「相対」のかぎりとし、また「共同幻想」の揺らぎをとどめて、それを「絶対」のものとすべく懸命に急いできたが、なお果たせない。
その一方で、近代はすでにしてAI人工知能と万能細胞を創出して、人の個人幻想や対幻想を消滅させ、また共同幻想を「絶対」のものとする手筈を整えつつある。
AI人工知能と万能細胞によって創出される永遠の生命体には、「絶対」の個人幻想・対幻想の心の世界はない。
AI人工知能と万能細胞によって創出される永遠の生命体には、「絶対」の共同幻想を植え付けることができる。
しかし、近代が、AI人工知能と万能細胞による永遠の生命体を創出すれば、それは近代そのものの終焉であり、人の歴史の終焉となる。
近代は、近代がなお生き延びるためには、近代みずからによって、人の個人幻想や対幻想を「相対」のかぎりとし、「絶対」の共同幻想を作り出さなければならない宿命にある。
先の大戦が終わって70年あまり、近代は、「共同幻想」の「相対」とその「限界」を悟りつつあり、なおの焦慮を強めている。