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また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。
独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬお前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。
人間どもの同意から
月並みな世の楽しみから
お前は、そんなら手を切って、
飛んで行くんだ・・・。
・・・もとより希望があるものか
立ち直る筋もあるものか、
学問しても忍耐しても、
いずれ苦痛は必定だ。
明日という日があるものか、
深紅の燠の繻子の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めというものだ。
また見つかった、
-何が、-永遠が、
海と溶け合う太陽が。
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(アルチュール・ランボー(小林秀雄・訳)「永遠」『地獄の季節』)
人は心情を持て余す。
「もとよりありもしない希望」という未来を信じてしまえば、
「もとよりありもしない希望」を絶って過去を捨てなければ、
人はその心情を持て余す。
人は持て余す心情に突き動かされて言葉を紡ぎ文字を書き付ける。
なのに、言葉や文字は、その心情を包摂することはない。
その心情を分断して断片とするだけだ。
もとより、人の言葉と文字は、この世界を包摂することはない。
この世界を分断して断片とするだけだ。
人の言葉と文字は、人の世で「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた残骸としてある。
人の言葉と文字は、いまの現在にはない、
その在り処は過去と未来にある。
人は、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた言葉と文字で過去を虚構する。
人は、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた言葉と文字で未来を虚構する。
人は、言葉と文字で自然を疎外して、自然から截然として疎外されている。
自然は「おのずからある」として、この世界を包摂する。
この世界を包摂する自然は、その分断と断片である人の言葉と文字を受けつけない。
この世界を包摂する自然は、「おのずからある」ものとして、いまの現在であり、過去も未来もない。
この世界のまったき包摂は、「永遠」である。
過去も未来もない、いまの現在は、「永遠」である。
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。
自然の海と太陽は溶け合って、分断と断片である人の言葉と文字を超然と凌駕し、この世界の包摂のさまを開顕する。
自然の海と太陽は溶け合って、在り処を過去と未来とする人の言葉と文字を厳然と峻拒し、この世界の永遠のさまを開顕する。
広大無辺な海のはるか彼方に赫々たる太陽が沈みこみ溶けて行く、
また、見つかった、
「永遠が」
独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬお前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。
人は、その在り処が未来の「お前の祈念」など心に留めることはない。
「お前の祈念は」は、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた残骸世界のなかに晒されてあるだけだ。
「独り居の夜」も「燃える日」もいまの現在としてある、「永遠」の一日だ。
また、「永遠」を見つけた、
その「永遠の心」は、「お前の祈念を守ってくれる」。
人間どもの同意から
月並みな世の楽しみから
お前は、そんなら手を切って、
飛んで行くんだ・・・。
「お前の祈念」は、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」で喰い散らかされた言葉と文字のなかに消え行く運命にある。
「お前の祈念を守ってくれる」のは「永遠の心」だ。
その「永遠」を見つけに、お前も「飛んで行くんだ」。
・・・もとより希望があるものか
立ち直る筋もあるものか、
学問しても忍耐しても、
いずれ苦痛は必定だ。
「希望」も、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた残骸世界のなかにある。
その「希望」が、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」を拒絶してその彼方へと投げかけられたとしても、すぐに「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」がその危険な匂いを嗅ぎつけて喰い散らかす。
喰い散らかされた残骸から立ち上がるすべはない。
「学問しても忍耐しても」なお、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」が襲いかかって喰い散らかす。
未来を信じるかぎり「いずれ苦痛は必定だ」。
明日という日があるものか、
深紅の燠の繻子の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めというものだ。
「明日」は、「人間どもの同意」と「月並みな世の楽しみ」に喰い散らかされた残骸世界のなかにあるだけだ。
「永遠」を見つけたら、「明日という日があるものか」
たったのいまの現在があるだけだ。
いまの現在にこそ、「深紅の燠の繻子の肌」を輝かせ、その「灼熱」に身をさらす、
それが「人の務めというものだ」。
また見つかった、
-何が、
-永遠が、
海と溶け合う太陽が。