ジャズ③
さきほど仕事を決めに出かけたとき、アタリは付けておいた。
途中、あ、ココだな、って風情の路地があるのを見逃してなかった。
それにしてもいったい、知らない街を歩き始めるとあの「遠くへいきたい」が聞こえてくるのは、どういうことか。
どうして知らない街へ行きたくなる、どうして遠くへ行きたくなるのか、って考えたことはある。
でも、なに、そんなもの気分の問題じゃないか、そんな気分になるなら、そのままにそれにしたがうのが一番ってことにした。
それにしてもいい曲だ、六八コンビの永六輔作詞、中村八大作曲で、歌はジェリー藤尾だった。
どうしてあんな歌が作れるのか、どうしてあんなふうに歌えるのか、って考えたことがある。
そのときは、あの人たちの持って生まれた感性があるとしても、あのころの時代の環境がその感性を世界に向けて広く大きく開かせたものだ、ってな、それなりの結論にしていたと思う。
でも、そんなことよりなによりも、いい歌はただそのまま聞いてそのままそれに浸っているのが一番ってことに変わりはなかった。
この稼業だと、いまでもはじめての知らない街にいくことがけっこうある。
ここもはじめてだった。
ホテルを出てさまよいだすと、もうおきまりの「遠くへ行きたい」が耳元で流れはじめた。
先ほどアタリをつけておいた路地に入ると、すぐ右手に3巾の暖簾がそよりと揺らめいていた。
客の手で汚れてよれよれの麻生地のまんなか巾に”酒”のただ一文字だ。
これはいけそうだ。
ちょいと屈んで木戸を引くと、たしかな頑固面の親爺がカウンターの奥からじろっと眼をくれて、ぶっきらぼうに、
ーへい、らっしゃい。
ああ、これはいける。
ー親爺さんの一番気にいってるやつ、冷やでくれないか。
ーそうかい。
このそっけなさも気に入った。
お通しからして、こだわっていた。
ともかく日本酒は酔いがまわる、
2合目を飲みほすかってあたりで、しっかりじんわり酔ってきた。
ここでなにか曲でもかかればいうことなしだったけど、音は親爺の趣味じゃなさそうだ。
そのうち、ゆらゆら体がゆれだし、ああこのまま寝落ちしてしまうか、あぶないな、ってすんでのところだった。
ー遅い!
さっきまでの調子と違う親爺の、小さかったが怒りのこもった声に驚いて、カウンターに落としていた顔をふいとあげた。
親爺の娘らしかった、
えい面倒とばかりに髪を後ろで輪ゴムでクイと束ねて、サッパリと洗い晒した割烹着で、親爺の声など聞こえないふうで、俯きながら洗いものをやっていた。
子は親のことはわからないし、親は子のことがわからない。
だからしょうがない、喧嘩してもしょうがない、
それでも喧嘩するしかないのが人の世だ。
こっちも、なんだかんだあっても、そんな人の世で生きてる。
そう思えば、あとは限られる。
そう思って、ジャズをやりはじめた。
ジャズのピアノ弾きで人の世を流れ歩いてきた。
娘が洗いものを終えたらしく、手拭いに手をやりながらこっちのカウンターを見遣って、「なにかお造りしましょうか」って、その襟元に粋筋がスッと浮かんだかにみえたが、そのすぐ横で親爺の変わらぬ頑固面がそっぽを向いていた。
ーいや、
ごちそうさま、
お勘定。
店を出ると夜の闇がすっかりと深まっていた。