「生前退位」
「主観と客観との間には一種の十全な関係が生ずるとか、客観とは内からみれば主観であるにちがいない何ものかであるとかということは、思うに、かつてはもてはやされた時代もあったが、一つのお人好しの捏造である。」
「 現象に立ちどまって『あるのはただ事実のみ』と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。」
「 総じて『認識』という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。—『遠近法主義。』」
「世界を解釈するもの、それは私たちの欲求である、私たちの衝動とこのものの賛否である。」
(フリードリヒ・ニーチェ「権力への意志」)
「言葉」で世界を解釈しようとするかぎりこのアフォリズムを転倒することはできない。
法は共同体の共同幻想でありその共同幻想に基づいた法言語によって記述される。
法は共同体の共同幻想でありその共同幻想性により法の解釈可能性は制約される。
法はその共同幻想性によりその法の解釈の可及的一義性安定性を希求する。
それでも法の解釈方法を規定限定する法は存在しない。
皇室典範 第4条「 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」
これを「皇位の継承は天皇の崩御に限られる」「生前退位は認めない」と解釈することができる。
これを「天皇の崩御による皇位の継承は皇嗣の直ちの即位による」「皇位の継承には間隙は生じない」と解釈することができる。
法は共同幻想として共同体構成員の個的幻想と逆立しうる構造を持っている。
その共同幻想を信仰する者はその共同幻想維持の欲求、衝動によって法を解釈する。
その共同幻想と逆立する個的幻想を信仰する者はその個的幻想維持の欲求、衝動によって法を解釈する。
いずれの解釈もその解釈をする者のそれぞれの欲求、衝動による。
それでもなお法はその共同幻想性により法の解釈の可及的一義性安定性を希求する。
その共同幻想を信仰する者、逆立する個的幻想を信仰する者、そのいずれの者も法の解釈の可及的一義性安定性から逸脱することができない。
そのいずれであってもその法の解釈の可及的一義性安定性から逸脱すれば、それはその共同幻想崩壊の萌芽となる、それに依って立つ共同体崩壊の萌芽となる。
先の大戦が終わって70年、
戦争の記憶と物質的繁栄のなかでこの国の共同幻想は舞台裏に奥まったままであった。
先の大戦が終わって70年、
戦争の記憶と物質的繁栄のなかでそれぞれがそれぞれの欲求、衝動によってそれぞれに世界を解釈してきた。
先の大戦が終わって70年、
戦争の記憶が薄れ物質的繁栄に限りが見えてこの国の共同幻想がその姿を舞台表に現しつつある。
そしてその共同幻想のほんとうの姿がその共同幻想たる法の解釈によってあらわになろうとしている。
その共同幻想を信仰する者、逆立する個的幻想を信仰する者、そのいずれの者も法の解釈の可及的一義性安定性から逸脱することができない。
そのいずれであってもその可及的一義性安定性から逸脱すれば、それはその共同幻想崩壊の萌芽となる、それに依って立つ共同体崩壊の萌芽となる。